中西:入学前の噂は「東神大は勉強が大変」「神学生は四六時中机にかじりついているらしい」というもの。また、「寮生活は過酷」とも聞いていて、相当覚悟していました。ところが、2011 年に諸教会の皆様のご支援のおかげで、寮の部屋にエアコンがつきましたし、インターネットもできて快適です。授業は大変ですが、クラブ活動も盛んで、学生生活をまるごと楽しんでいます。
馬場:四角四面な堅物ばかりかと思っていましたが、面白い人が多いんですよ。経歴も前職が船乗りとか、海外で日本語教師をしていたとか。個人的に驚いたのは、出身教団や教派のバックグラウンドの多様性ですね。僕はキリスト教主義の学校に行ったことがなく、自分の所属教会以外の人と触れ合う機会があまりなかったため、新鮮です。例えば聖餐式にしても、メソジスト系の教会出身者は「前に出て与(あずか)る」というし、改革長老派系の教会で育った僕は「配られる」のが当然と思っていた。その違いが神学的なルーツに基づくことを学んで、自分の教会について改めて考えることができました。そういう経験がすごく面白いなと思います。
関本:正直、こんなに勉強させられるとは思っていませんでした。特に3 年次編入生は、この1 年間は神学の基礎からギリシア語など語学も含めて授業がびっしりです。歴史など記憶力が必要な授業もあれば、哲学的思考が必要なものもあり、60 代の脳をフル回転させています。同じ世代の先輩には「とにかく立ち止まるな。最初の1 年間は余計なことを考えずに走れ。走り抜いて4 年に進級できれば、あとは勢いでなんとかなる」とアドバイスをもらいました。
馬場:いや20 代だって、大変です。特に編入して教職課程を取ったため、3 年生の前期は1 週間に19 コマも授業を受けていました。でも、何とかはなります。
狩野:3 年次編入の方の1 年目と比べると、1 年生から入った僕たちは比較的楽です。まだ、神学の大海に漕ぎ出ず以前に、水たまりでパシャパシャやっている感じ。
江口:確かに「聖書通論」や「キリスト教通論」など神学の概要を学び始めたばかりですから。
狩野:その神学関係の授業こそ、東神大に来てやりたかったことなので、苦しいどころか毎回楽しくてワクワクします。その他の科目もキリスト教に関連したものが多いので興味をかき立てられます。
江口:視覚障がい者にとって、大学に入学すること自体が挑戦です。まず、授業準備に膨大な時間がかかります。例えば、課題図書は点訳があるかどうか調べたり、データベースからダウンロードして準備したり、なければ事前に入手したものを学外の友人に頼んでスキャンしてもらい、自分のパソコンの読み上げソフトを使って読んだり。加えて、観念の理解が難しいのです。当たり前ですが、聖書は目が見える人の視点で書かれています。例えば「世の光」という聖句ですが、私のような先天的な視覚障がい者は、「光」がイメージできません。それに、暗闇の中で生活することを訓練されていますから、光がなくても困らないわけです。その状況で、光とは何かを考える。温かみがある、心の中に何か生まれるものがあるとか、少しずつ理解していって自分の中で変換し、聖書の御言葉が見えてきたように思う時、すごく感動します。それが今、私にとっての神学であり、学びの原動力です。でも、そこに留まっているだけではだめ。どのように伝えるかがこれからの課題です。
中西:神学を学ぶことはとても刺激的です。確かに自分はキリストを、神さまを信じてきたのだけど「信じるとは何か」が問われます。自分なりに思索して「こうかな?」と思っても、調べるとすでに過去の人がもっと深く考え、言語化し、対話を重ねてきている。そういうふうに連なる歴史の中で、いま、私たちが学んでいるということも面白いですね。広くて深い学びです。
関本:サラリーマン時代も、仕事を通して学ぶことはたくさんありました。でも、目標が達成できたかとか、予算をどう確保するかなど、割り切れるものばかり。ところが神学となると、「AイコールB」などと単純には割り切れません。何よりもまず、言葉がわからないため、先生が何を言っているのか、神学書に何が書いてあるのかも掴みようがありません。今はひたすら言葉を調べ、概念を理解して自分のものにすることにもがいている状態です。
江口:おかしいですよね。皆ウンウン唸って苦しんでいるのに、同時に楽しんでもいるのですから(笑)。
馬場:学びながら、神さまのことをずっと考えていられますからね。試験と課題さえなければいいんだけど…(笑)。
関本:東神大の素晴らしいところは、10代から60代まで幅広い年齢層の学生が集まっているにも関わらず、クラスが団結していることですね。以前、避けられない用事があって授業を休んだ時、事前に頼んでいなかったのに思いがけずノートのコピーをもらいました。とにかく「皆で支え合って伝道者になろう」と目的意識を共有しているため、世代を超えた友情が生まれるのだと思いま
す。
中西:私の喜びは毎日の礼拝です。勉強の苦しさや神学生として相応しいのかとか、周囲に認められたいといった悩みや気負いも、御言葉を聴き、讃美する中で神さまに委ねることができます。そういう意味でも、礼拝に支えられています。
狩野:僕もそうです。礼拝で、一日の気持ちが引き締まります。
江口:先生方や職員の皆さんは、初めて視覚障がい学生を受け入れて戸惑うことも多いと思いますが、私自身、前例がないのは非常にありがたいです。前の人の例が、私に当てはまるとは限らないので……。と言いつつ、私が前例になってしまいました(笑)。
馬場:僕の場合は、周囲が全員神学生で、神さまのこと、これからの伝道のことなどを真剣に話し合えることですね。でも同時に、教会用語や神学用語ばかりで話してしまうことも懸念しています。僕たちは「福音を伝える」ために招かれて学んでいるのですから、キリスト教を知らない人にも伝わる言葉を身につけておい人にも伝わる言葉を身につけておくことも大切だと思います。
関本:私は63歳で入学したので、大学院を卒業して、3年後に按手を受けられるとしても、牧師になる時は70歳近くになってしまう。たとえ健康でも、あと何年間、神さまのご用を果たせるかと考えて悩んだことがあります。でも、前期の学生懇談会の時、近藤学長の言葉を聴いて慰められ、励まされました。それは、「皆さんは神学校に入った時から、すでに伝道者として働きだしている」という言葉です。一人前になってから、神さまとの仕事が始まるわけではない。今、もうすでに始まっている。それが一番の恵みですね。
江口:私はすぐ目の前に何かがあっても、手に取れません。だから、与えてくださるありがたさを人一倍感じています。イエスさまが「はい」と手渡してくださる、この喜び! これが神学生である喜びです。それを、これからどのように伝えたらよいのか。自分でどうこうするのではなく、学ぶことによって、キリスト者としてキリストの香りを放つようになれることを願っています。
編集者からのメッセージ
新しい『学校案内』をお届けいたします。
この『学校案内』は東京神学大学を皆さんに知っていただきたいという切なる願いから作成されました。本学はキリスト教会の牧師、伝道者を養成する大学です。この『学校案内』をお手にとって、「私も神さまから呼び出され、招かれている」と感じていただけたら、とても嬉しく思います。伝道への志をおもちの方は、どうぞお気軽に本学教務課入試係にご相談ください。また、本学をすでにお支えくださっている諸教会の皆様には引き続きご支援をお願いいたします。
2012年5月
|
|
中西 理恵(なかにし りえ)
学部3年生。1978年生まれ。10年余りの社会人経験の中で仕事や生活で悩んだ時期に、自分の人生の意味は神さまの側にあることを示され、祈りの中で召命を与えられ編入学。
馬場 勇樹(ばば ゆうき)
学部3年生。1987年生まれ。法律家を目指して法学部で学ぶが、魂の救いは法的な判断による地位の回復や金銭の返還では得られないことに気づき、大学卒業と同時に編入学。
江口 勝利(えぐち しょうり)
学部1年生。1968年生まれ。友人に誘われ、とある家庭集会に参加。その後、教会に通い、受洗、3年後に召命が与えられるが、全盲である故に思い悩み、10年間の心身の葛藤を経て入学。
関本 信一(せきもと しんいち)
学部3年生。1948年生まれ。サラリーマンを定年退職後、教会の牧師の献身を薦められ一度は断った。しかし、「これまでの人生はリハーサル、これからが本番」と思い直して編入学。
狩野 信之佑(かりの しんのすけ)
学部1年生。1992年生まれ。病気で友人ができにくかった少年時代、幼稚園の友人が通っていた教会に行くように。以来、教会で育まれ自然と献身の思いが与えられ高校卒業後に入学。
|