真の心の拠り所を示す教会として
命がけで福音を伝えることが現実に
私は、神学校を巣立つその日に、東京神学大学の礼拝堂で地震を体験しました。震源地が宮城県沖と聞き、4月からの赴任先である石巻山城町教会のことが、真っ先に思い浮かびました。しかし、焦って訪ねても、かえって迷惑になるのではないかとも思い、予定通り3月30日に石巻に向かいました。
到着して、高台から町を見下ろした時、聖書の中の伝道者たちの姿が、リアルに心に浮かんできました。伝道者になることは、職業を選ぶのとは違う。神さまに遣わされ、命がけで福音を伝えていくことだと頭では考えていたのですが、無惨に破壊された町に入ることは、まさに「命がけ」という言葉そのもの。何とか気持ちを奮い立たせたいとは思いましたが、正直言って、圧倒的な自然の破壊力の前に、身の縮む思いでした。さらに「震災当日を一緒に体験していない、外から来た私の言葉に説得力があるのか、人々に受け入れてもらえるのか」と悩み、迷いもありました。
語る側も、聞く側も、御言葉に渇いていた
当初、前任の鈴木牧師・「牧師は、私と入れ換えに転任される予定でした。しかし、それを延期して必死に救援活動を続け、またその中で私を教会員や町の人々に紹介してくださいました。そのうちに心に抱いていた恐れや迷いは薄れ、そして、自分自身が何よりも御言葉に渇き、求めていることに気づいたのです。
初めて説教を担当する礼拝が近づいてきた時には、「私の人生経験は少ない。だから、この場で私という人間に語れることはない。東神大の4年間で学んだことに従おう」と、心が決まっていました。それはすなわち、純粋に聖書の御言葉を聴き、それを宣べ伝えることに尽きます。神さまを求めて礼拝に集う人々と共に、私自身も御言葉を聴きつつ御言葉を伝えること、そのことに集中するしかないと思いました。
一方で、被災地の教会として地域に何をすべきかを考えました。震災ボランティアの受け入れやチャリティコンサートを開くことなども重要です。しかし、何よりも礼拝が大切だと確信させられたことがありました。それは、ある老婦人の姿です。その方は、震災直後1日3本しかないバスに乗り、1時間半もかけて教会に通い、礼拝出席を無上の喜びとしていらっしゃいました。このことから、礼拝を中心に据え、御言葉を伝えながら教会を形成していくことの他はないと思いました。
主の道を示す教会としてゆるぎなく
ある時、「震災で失われたものが元に戻るように」と祈りの中で言葉にしたところ、礼拝後に求道者の方から「自分は全てを失ったが、戻りたいとは思わない。ゼロから出発するしかないのだ。新しく進めるように祈ってほしい」と言われました。それぞれの方の思いは、私にはわかりません。でも、こうした言葉からも教会への期待を感じます。
まだまだ復興への道は遠く、人々の苦難は続きます。でも、その中で真の心の拠り所とは何か。教会は、それをはっきりと示すことのできる場でありたいのです。痛みも悲しみも消えることはありませんが、ここには希望があります。
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