人を助けるには、まずあなたが心を開いていることが重要。
「自分を見つめ、自分を知る学び」が欠かせません。
「東京神学大学の学問的な水準は高く、アメリカの主要な神学校にも引けを取りません」とジャンセン教授は言います。ただし「伝道者にはアカデミックな知識だけでなく、人と寄り添う人間性も求められます。そのためには、自分を見つめる学びが重要です」と続けます。
その一例として、ジャンセン教授の担当する「教会実習」の授業では、「会話の逐語記録の検討」を行います。これは、学生同士がペアになって悩みを聴き合い、その会話を逐一記録し、その後クラス全体で「なぜこのように言ったのか」「なぜこのように言わなかったのか」をディスカッションするもの。
「指摘されていい気持ちはしませんが、自分を知るには大切な作業です。もし牧師自身が相談者と似たような課題を抱えていて、しかもその扱い方がわかっていない場合、牧師は自分を防衛するでしょう。この場合相談者との会話は表面的になるか、別の軽い話題に終始し、相手を助けることはできません。牧会の場に出てからこのような過ちを犯さないために、授業の中で自分はどういう人間なのか、どういう弱みを持っているのかに目を向けます。この作業は辛いものですが、乗り越えて初めて人に対してオープンになれるのです」
深刻な相談に対して「聖書にはこう書いてある」とか「○○という神学者はこう言っている」といった知識を話しても、あまり助けにはならないと教授は言います。相談者はむしろ落胆し、牧師自身も助け手となれなかったことに自責の念を感じたり、焦燥感を持つこともあるでしょう。
「私が専門とするパストラルケアは、教会の宣教伝道とはちょっと違います。何よりも重要なのは癒されること。癒しとは、“つながりの回復”です。相手に無理に悩みを吐き出させる必要はなく、場合によっては、挨拶だけでもいいのです。つながりを断たれて孤独な状態にある人を、キリストの実存のもとに再びつなぎ直す働きです」
若き日に召命について悩んでいたとき、ジャンセン教授自身も神との関係の回復を経験したそうです。「ちょうどヨナ書の第2章を読んで祈っているときでした。ここに祈りを聞いてくださる神さまがいる。その存在を感じたとき、神さまとの関係が新しくなり、悩みは変わらず存在していても、心に癒しがもたらされました」
「私も、あまりにも辛い状況にある人を前に言葉を失うことがあります。何もできないことに打ちひしがれます。しかし、そんなときこそ私たちは福音を忘れてはなりません。相手に押し付けるのではなく、自分が福音を信じて生きていることを喜ぶ。人は喜びを持つ人に近づきたい、仲間に入りたいと思うものです。そこに関係性ができてくるでしょう。東京神学大学で学ぶ神学生には、自らを見つめる学びの先に、『喜びに溢れている人生』を発見して欲しいと願っています」