教授 棚村 重行(歴史神学)
「日本の教会と神学校はなぜ合同したがるのですか?」これは数年前本学を訪問した韓国の一神学大学の学生たちが、本学に合流した多様な旧教派神学校の系統図を見て発した驚きの問いです。一つの答えは様々な教会合同運動(エキュメニズム)を主動機とし、教派を建設する動機も絡み織りなすドラマ−−これが歴史的に見た日本伝道の脚本といえましょう。
三段跳び式に言えば、ホップ段階の明治初期、信仰復興の福音を伝えた日本基督公会という19世紀の合同運動が、教派形成と対抗して移植されました。宣教師ブラウンの合同神学校塾は本学の遠く遥かなる一源流です。
ステップ段階では、20世紀エキュメニズムの日本基督教連盟をエンジンとした教派の協力合同運動の時期です。この頃二つの神学教育機関、東京神学社と明治学院神学部が合同し、日本神学校が誕生しました(1930年)。
このステップの上に、第二次世界大戦時の国家による宗教団体法の超突風も加わり、当時のプロテスタント30余派は、多数派合同教会、日本基督教団へジャンプしました。(1941年)。この教団の教職養成校、日本基督教神学専門学校(1944年)を経て、戦後の1949年に新制東京神学大学が誕生したわけです。
以来、聖書と歴史的な信仰告白の資産を継承し、「教団信仰告白」を規準とした、健全な福音の伝道と諸教会に開かれた神学教育、教団形成の更なるジャンプに努める神学大学−−これが本学の基本姿勢です。
○東京神学大学開校までの歩み(参考:本学の成立と歩み)
1859(安政6)年 |
プロテスタント諸教会の宣教師たちが日本で宣教を開始。 |
1872(明治5)年 |
横浜に最初の教会「日本基督公会」が設立された。 |
1873(明治6)年 |
宣教師のS.ブラウンが横浜に最初の神学塾「ブラウン塾」を開講。1877年「東京一致神学校」(のちの明治学院)開校。 |
1904(明治37)年 |
「東京神学社」が牧師・植村正久によって設立される。 |
1930(昭和5)年 |
本学の前身となる「日本神学校」が設立され、「明治学院神学部」はここに合流する。 |
1941(昭和16)年 |
プロテスタント諸会派の合同教団として日本基督教団が設立される。 |
1943(昭和18)年 |
教派ごとに分かれていた神学校が「日本東部神学校」「日本西部神学校」「日本女子神学校」の3校に統合され、さらに1944年(昭和19)年、この3校が合流して「日本基督教神学専門学校」となる。 |
1945(昭和20)年 |
敗戦 |
1949(昭和24)年 |
日本基督教団立の伝道者養成機関として新制大学「東京神学大学」を開校。 |
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