“迷うときは、躊躇なく困難と思われる方へ進め”。大学4年生の夏に参加した学生修養会で、ある学生が質問しました。質問は覚えていませんが、講師の答えが私の胸に突き刺さりました。すでに企業への就職活動を展開していましたが、キリスト教教育の道に進みたいという思いもあり、迷っていたのでまさに天啓。神さまが私に語りかけてくださったのです。
改めて大学の先生に相談すると、日本で体系的にキリスト教教育、とくに教会教育を学ぶのは困難とのこと。そこで、英語は大の苦手でしたが、まずはアメリカの大学院で学ぶことを決意し渡米。さらに、伝道者として日本の教会に仕えるのならば牧師としてのトレーニングも必要とのアドバイスを得て、帰国後、東京神学大学大学院に入学しました。当初は、教会教育に携わりたいと思っていましたが、神さまによる巡り合わせで母校・青山学院大学に遣わされ、今年で9年目になります。
青山学院は今年創立136年を迎えましたが、昨今ではキリスト教大学と知らずに入学してくる学生もいるほど、日常的には世俗の世界です。私の担当するキリスト教概論でも、学期の初めの頃は“洗脳されないぞ”とか“宗教なんて欺瞞だ”と批判的に構えている学生も多い。ところが回を重ねると「もしかしたら、これは人生に関わる大切な話かもしれない」と表情が変わり、がぜん意欲が高まる学生が出てくる。それが面白くてたまりませんね。
学生が大学に在籍するのはたいてい4年間ですから、私たち大学宗教主任の伝道は短期決戦。毎日行われる大学礼拝の出席者も、最近はずいぶん増えました。が、大学生はもちろん、職員も含めてほとんどがノンクリスチャンで、すぐに洗礼や教会生活へ結びつくわけではありません。それでも、「大学をやめようと決意して、最後にチャペル礼拝の出たが、そこで聞いたメッセージによって思いとどまった」などという話を聞くと、いまも、生きて働かれている主イエスを感じます。ここではキリストを知らない2万人もの人々に向けて福音を語ることができます。授業、礼拝、諸行事、委員会などを渡り歩く多忙な毎日ですが、実にダイナミックな伝道に携わる喜びがあります。
若い世代と接する中で、彼らは人の痛みを知る、深く感動して涙を流す、一緒に喜び合う、限られたものを分かち合う・・・・・・といったことが少ないのではないかと感じます。主イエスは、日々の生活の中で私たちに出会ってくださる。その出会いに気づくには、リアルな感情や生活体験が必要です。そこで、青山学院の宗教センターでは、フィリピンのスラム街や貧困に苦しむ人々を訪ね歩くツアーなど、最近は体験から学ぶプログラムを多く取り入れようとしています。ちょうど先日、そのスタディツアーから戻ったところですが、リーダー役の大学生も、参加した初等部(小学校)、中等部(中学校)の生徒たちも、それぞれに深い思いを刻んできました。彼らがこれからどんなふうに主イエスと出会い、神の国の担い手として成長していくのか、本当に楽しみです。