学生時代から折にふれ、神和教会の東島先生から「牧師にならないか」「神学部にいかないか」と薦められていました。しかし、全くそのつもりはなく、大学卒業後のサラリーマン生活もぞんぶんに謳歌。3年目に東京に転勤しましたが、会社の寮の近くの川崎教会に通い、教会学校教師や役員を務めながら「教会員として教会を支えることが私の役割だ」と信じて疑いませんでした。
そんなある日、正確には1995年1月17日、阪神大震災が発生。私の実家は半壊、母教会である神和教会は全壊でした。神戸に駆け付け、がれきに囲まれた教会の庭で礼拝に出席したとき、ある確信が与えられました“すべてが崩れ去っても信仰は残る”。このこと、つまり「どんな破壊的な力に出会っても、最後まで残る神さまの真実」を伝えたい、伝道者になりたいという思いが与えられた瞬間でした。
幸いなことに周囲も賛成してくれ、働きながら1年間準備して、東神大に入学しました。しかしながら、地震のために建て替えた実家のローンを背負い、職を辞した身での学生生活では、大学院に進むのは経済的に厳しい状況でした。
ところが、神さまが整えてくださいます。教授陣が手を尽くして探してくださったところ、「牧師が隠退するので、大学院生の伝道師でも主任として招聘したい」という教会が現れたのです。それが、ここ、江戸川松江教会でした。
「神学が続けられる!」とほっとしたのもつかの間、大学院と主任教師の二足のわらじは、想像以上にたいへんでした。説教は、教会学校の幼少科、中高科、主日礼拝、夕礼拝と日曜日ごとに4回。木曜日の聖書研究祈祷会の準備も必要です。信徒の方々は状況を理解して、個別にじっくりお話しできないこと、訪問できないことなどを我慢してくださいました。でも信徒以外に、近くの競艇場から「3日間何も食べていない」という方が訪ねてきたり、電話帳で調べるのか、深夜から明け方まで「死にたい」と繰り返す電話がかかってくることもしばしば。翌日、朦朧とした頭で大学院の試験に挑んだことも一度や二度ではありません。
体力的にはギリギリでしたが、不思議と「もうダメだ」とは思いませんでした。思い悩むよりも、「神さまは私をどんな牧師にしてくださるのか」とわくわくする気持ちの方が大きかったからです。私には足りないことばかりですが、神さまは、足りない私をここに立たせてくださった。だから、私も神さまに委ねました。「果たすことのできる責任だから、担わせてもらっているのだ」と。
なによりも、説教すること、御言葉を語ることが私自身を養ってくれました。聖書を語り「このことは本当です!真実です!」信仰を言いあらわし、心からアーメンと唱える喜びは、なにものにも代えがたい伝道者の特権です。どんな労苦も、困難も、この喜びの前にすべて拭い去られます。
もし一度でも牧師になることを考えたのなら、ならなければ損です! 献身を考えている皆さんには、ぜひ、この素晴らしい恵みの感覚を味わっていただきたいと思います。