二番煎じに生きる
沼津教会牧師 宮本義弘
献身は、一生ものである。自分を捨て、神に仕える。その神の御用聞きの務めを一生続ける覚悟が献身には必要である。しかし、そのような覚悟が人間にできるのだろうか。どんなに意志堅固な人でも、自分の決心だけでは献身は無理なのではないだろうか。富山にいた頃、仏教の盛んな地でのお寺の悩みを聞いた。世襲制のお寺では後継ぎに若者がなりたがらないというのである。住職は、葬式という緊急事態に備えなければならないのと同時に暇なときには何もすることがない苦痛に耐えなければならない。自分の思い通りの人生を築くことができないので若者に敬遠されるということだった。確かにお寺さんの方が人間の本質を見抜いていると思った。
では、自分は25年間の伝道者の生活をどのように過ごしてきたのだろう。始まりは、16才の受洗からだった。授洗牧師は言った。16才で洗礼を受ければ大物になれると。ここからがわたしの伝道者としての生活の始まりだった。自己実現を願わぬ者はない。立身出世するとほだされて、その言葉にのった自分が愚かだった。洗礼を受けると、今度はその牧師は神学校へ行けと言う。あくまでも神学校に行けと言うのであって、牧師になれとは言わなかった。だから、東京神学大学の入試面接でも召命観があるかと居並ぶ教授に問われて、それは何のことだろうと戸惑った。普通ならばこれで道が閉ざされるはずである。また、受験勉強の手違いで試験科目の「聖書」は0点に近かった。これも側面から道を閉ざすことに応援するはずだった。しかし、神の結果は、聖書は入学してから学べ、召命観はこれから自分に問い続けろというもので、入学が許されてしまった。だから、神学校生活は苦節9年にも及び、周りの者にさえ宮本君には牧師は無理だろうとささやかれていた。ところが、なぜかわたしの伝道者の生活は25年も続き、今も飽きることがない。
神は、大物になると言わせたその牧師の言葉を拾い上げて、その言葉にご自分の計画を上乗せし、自己実現へと走る若者の足をその思いの中で方向転換させるための戦術をとったようだ。これは、まるでヨセフ物語ではないか。創世記50:20では「神はそれを(兄弟の悪を)善に変え」るお方だと聖書は言う。自分の人生は、自分で切り開くと一番茶のように納得のいくおいしさが出るかもしれないが、二番煎じのお茶は、神が開いた茶葉で飲む。これもまた味わい深いものである。そして、今も神がわたしの人生を開き続けておられることを体験するということこそが、牧師を止められない唯一の理由である。