森野真理(もりの まり)
学部3年。1988年生まれ。大学卒業後、キリスト者学生会にアルバイト勤務。オルガンと教会音楽を勉強するための大学入学を準備中、祖母の死を契機に召命を受け、編入学。
牧師夫人で伝道師でもあった祖母が残した文集を読んでいる時に「あなたも伝道師になりなさい」という声が聞こえたのですが、私は言葉を選びとって伝えることが苦手で、人前で話すことも嫌いでしたので、御言葉を取り次ぐ務めなどできるわけがないと思いました。それでも教会で奉仕を続ける中で、ローマ書8章28節にあるように、召し出してくださった神さまが共にはたらいてくださるから、私に言葉が足りないとしても成し遂げることができるだろうという確信を得るようになりました。そして私の母教会の伝道師が東神大の出身で、東神大の大学院生もいましたので、2人の話を聞いていたこともあって神学生として実際に東神大に入ってからもギャップはありませんでした。普通の大学と同様にいろいろな人がいるし、ほかの教派の神学生もいますが、ここは本当に神学を学ぶところだという印象をより強くしたのです。編入してそろそろ1年になりますが、夏ごろは課題が多くてとても大変でした。それでもどうにか単位をいただくことができて、神さまが力を与えてくださって、自分ではできないことも成し遂げさせてくださったということを実感しました。女性の教職者や神学生が教会にいると、女性の一信徒としては男性には話せないことでも、ある程度自分の深いところまで押し出して話せますので、心強く感じられると思います。そのためにも、私自身神さまに力を与えていただいて新たな一歩を踏み出したいものです。
岩住啓太(いわずみ けいた) 学部2年。1991年生まれ。高校卒業後二年間予備校に通う。不安定な自分に気づいて悩むなか、改めて教会に出会い、神さまに生かしてもらっていると感じて、入学。
僕は1年生から入学しましたので、一般教養科目も履修するなど、神学生というイメージがあまりありませんでした。いよいよ授業で聖書を学び始めた時には、これで神学が始まるんだと緊張したものです。また、語学の学びがすごく多くほかの大学にくらべて大変ですが、例えばギリシャ語の勉強は将来原典で聖書を読むためで、目的とやることが一致した学びです。僕は寮に住んでいますので、学年の違う人や教派の異なる神学生と交わる機会も多く、共同浴場で神学の議論になったり、自分の悩みや信仰上の課題などを延々としゃべることもあります。そこには、ただ理論を学んでいるだけではなく、本当に自分の生き方につながっているというおもしろさがあります。古代の教父の本を読んでいても、神さまを知ろうとすることに対する恐れがずらずらと書いてあるのに出くわし、時を隔ててはいますが、僕たちも同じことを学んでいるんだと思ったり、悩んでいることもいっしょだと感じてうれしくなります。何かを調べようとしても、時代が異なり背景は違うけれど、そのことについて考え、論じている人がすでにいて、信仰生活と結び合った学びは今の自分が生きることとつながっていると感じられ、信仰と関わって学ぶということは本当におもしろいと思います。授業が祈りから始まるのはすごいことですが、年齢層が幅広く誰が教授か学生かよくわからないなど、ちょっと不思議だなと思うところもあります。
長倉 基(ながくら もとい) 学部4年。1972年生まれ。アメリカのIT企業に17年勤務。その仕事を一生続けるのか悩み祈るなかで、本当に身を捧げられるのは教会に仕えることだと気づいて、編入学。
私は、前の大学では理系の勉強をしていましたので余計にそう思うのかもしれませんが、東神大の授業は、教えていらっしゃる先生の見識も、授業の中身もすごくレベルが高いと思います。学問的な聖書研究から、聖書の新たな側面を知る経験をします。旧約聖書の最も古い部分が書かれたのはたったの紀元前1000年頃の話。それを知るだけで聖書成立に人間の営みが関わったことに思いが至ります。また東神大には、神学を学ぶ神学大学という側面と、牧師になるための神学校という側面があります。授業の中で、時々先生がご自分の牧師としての体験や、牧会に出て遭遇する問題にどう対処するかと言った話をされることがあり、それもすごく面白い。それはカリキュラムとしては取り入れられるようなことではないけれど、とても役立つ気がします。日々の生活では、わたしには妻と子どもが一人いることもあって、勉強時間を確保するのがなかなか難しいのが悩みです。家事の手伝いと子どもの世話をし、子どもが寝た後にやっと宿題をやるので、それだけで一週間があっという間に過ぎてしまうのです。教授からは、授業の学びの一方で、自分の神学のテーマを見つけるために興味のある本を読むとよいと助言されていたのですが、その時間は充分にとれないままここまで来てしまいました。それでも、神学の学びはすごく楽しいと思います。教会で生きていくからには、神学の学びを続けたいと思っています。
百武真由美(ひゃくたけまゆみ) 大学院1年。1984年生まれ。大学のキリスト教学科卒業後、中高一貫校の聖書科教員に。三年後の退職にあたり、悩んだ末、御言葉にこだわりつづけるよう助言を得て編入学。
私は日本基督教団の教会の出身ではなかったので、当初は教団の教会に仕える牧師というのはかたい人達だと思っていました。ところが東神大に入ってみると、案外普通の人が多く親近感がもてました。それでも、入学式で「神学校は召命共同体なんだ」と言われ、大きなインパクトがありました。授業を受ける中では、「全てが繋かっている」ということが印象的でした。聖書神学で習ったことが組織神学で活きてきて、それがさらに歴史神学に繋かって実践神学で結集するというように、全部が連関しているのです。先生方もそのことをわかっていらして、繋がるように話してくださるので、自分の中でピンとくるととても嬉しくなります。大学院に入ってからは、説教の回数が増えてきて、自分が本当に召しを受けているという確信と共に、自分が神さまの言葉を預かって語ることを本当にしていいのかという問いが生れてきて、本番直前のような気持ちも加わってきました。これから東神大をめざす方たちに伝えたいのは、この大学に入って一人ぼっちになることはないということです。学びは苦しいことのほうが多いかもしれませんが、そのたびに自分の学びのために祈ってくれる教会、諭し教えてくれる先生や仲間たち、なによりも御言葉をもって導いてくださる神さまがいらっしゃるのです。学部4年と大学院1年の時に行なう夏期伝道実習でも、そのことを強く感じました。
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