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卒業生・在学生の声(献身の勧め)2015(肩書き等は2014年当時のものです)
 

神様に強く迫られて

読谷教会 牧師 
具志堅 篤 

  16歳の時、洗礼を授けてくれたR.フラック宣教師に将来、神学校へ行くことを勧められた。高校生の頃、故・松田定雄先生(当時沖縄キリスト教短大教務教師)は「キリ短」から「東神大」へ進むようにと。しかし、当時の私は、部活=命みたいなものでしたので気にも留めなかった。

 CS教師などの奉仕は喜んでさせて頂いた。暫く、教会は無牧となり奉仕の範囲が広がった。牧師を迎えたころ周囲から「神学校へ行ったら?」と献身を勧められた。あまり、深く考えずに東神大を受験した。が、その時は御心ではなかったのであろう、試験途中で席を立った。そのまま帰ってしまえば良かったのに、残って面接を受けた。勿論、合格するはずがない。(恥ずかしい思い出だ。)

 キリスト教主義の病院でPT・OTの助手として働いた。レクリエーションのスキルを生かして精神科、老人病棟の患者さんたちのグループワークを主とするお仕事だ。楽しい職場だった。八年ほど勤めてケースワーク部門に移ろうとその準備を始めた頃、故高崎毅志牧師(当時、美里教会)に「具志堅さんね、一年間休職して東神大に行かない?」「いや、半年でもいいよ。三ヶ月でもいい。」と言われた。三ヶ月の学び? Cコースも視野に入れていたので彼はそのようにアドバイスされたのだろう。今思うと、まるでアブラハムの執り成しの祈りのようだった。(値引き交渉的執り成し?)

 サムエルだって三度、呼ばれてやっと気付く神の召し、イザヤは「はい、わたしがここにおります。」なんて自発的に手を上げているように見える。が、本当は神様に追いつめられ逃げられなくなって手を上げたんだと思う。エレミヤの言い訳「若者に過ぎません」も使えない。こりゃ、もうお手上げだ。妻には、相談ではなく報告。一歳半の長男と妻を残し、神学校に飛び込んだ。神さまと相談したから、あなたには報告でいいなんて身勝手な理屈を妻は良く受け入れたものだ。

 伝道者となって16年、思うに確かに伝道・牧会は困難、「ミッション・インボッシブル」(極めて危険で難しい任務)な業だ。同時に、これほど楽しい業もない。 だから、しっかり神の指令「御言葉」に耳を傾けてこの職務を全うしたい。召してくだったお方に信頼しつつ。 「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。」       (ヨハネ15章16節)


直球勝負の人生

東京神学大学 大学院1年
瀧山 喜与実

 「でっかい人になりたい。」これが私の目標でした。具体的に何になりたいかは、その時その時で違っていたのですが、中心にあるのは「つまらない人生を送りたくない。特別な人になりたい」という気持ちでした。

 活き活きと働く牧師の両親を見て育った私は、いつかは牧師になろうと思っていました。しかし年をとって献身した方の話を耳にするなかで、「牧師はゴールだから、ゴールに行ったらその先他のものにはなれないのだから、まずは好きなことをしてから献身しよう」と決めました。そうかと言ってしたいことがあるわけでもなく、大学卒業を控えた時期にもまだその先が決まっていませんでした。「ここまで回り道もせずにひたすらやってきたのだから、しばらくのんびりするか」という思いでいました。

 しかし、大学を卒業したその夜、人生最大の苦難に直面することになります。父が急逝したのです。それまで大きな困難に出会うこともなく、「教会を第一とする」ということ以外は特に厳しいことを言わない両親の元でのびのびと育ってきた私にとって、聖書も教会も牧師も「常にそこにあるもの」でしかありませんでした。しかし、悲しみの底に座り込む中、親が口癖のように言っていた御言葉や、好んで口ずさんでいた讃美歌が自分の内から湧き上がるのを感じました。また、父が召された三日後に講壇で説教をした母の姿も、牧師として生かされている者の強さを知る時となりました。生前父の口癖だった「牧師は最高の仕事だ」という言葉も、耳から離れませんでした。

 そこですぐに献身したかというと、残念ながらまだ自分の欲を捨てきれなかった私は、決心しかねていました。とりあえず就職をした塾は思いのほか楽しく、やりがいのある仕事もさせていただけて、もう少し、もう少しと献身のときを先延ばしにしていました。そんな私が決心したきっかけは、東日本大震災でした。自分より若い人々の名前が、新聞の「亡くなられた方々」の欄に並ぶのを見て、「自分もいつ死ぬか分からない」という現実を目の当たりにしました。そして、「死ぬ前にやっておきたいことは何だろう」と考えるようになりました。答えは決まっていました。「東神大に行こう。」

 神様は「牧師になりなさい」という直球を常に私に投げておられました。打ち返す時が来たのです。

 神学校生活は楽しいです。牧師である先生方、神様を信じる職員の方々、そして、共に学ぶ仲間たちとの交わりは、イエス・キリストによって結ばれているのを感じます。辛いときも、周りの方々が言葉によって、また行いによって神様のところへと引き戻してくれるのを感じます。

 私自身が小さくても、神様に繋がっていればいくらでも「でっかい人」にしていただけます。人生は一度きりです。ここでの学びを通して、神様に用いられる器として作り変えられていきたいと思います。

 

 


読谷教会牧師・具志堅篤


 

大学院1年・瀧山喜与実

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