「でっかい人になりたい。」これが私の目標でした。具体的に何になりたいかは、その時その時で違っていたのですが、中心にあるのは「つまらない人生を送りたくない。特別な人になりたい」という気持ちでした。
活き活きと働く牧師の両親を見て育った私は、いつかは牧師になろうと思っていました。しかし年をとって献身した方の話を耳にするなかで、「牧師はゴールだから、ゴールに行ったらその先他のものにはなれないのだから、まずは好きなことをしてから献身しよう」と決めました。そうかと言ってしたいことがあるわけでもなく、大学卒業を控えた時期にもまだその先が決まっていませんでした。「ここまで回り道もせずにひたすらやってきたのだから、しばらくのんびりするか」という思いでいました。
しかし、大学を卒業したその夜、人生最大の苦難に直面することになります。父が急逝したのです。それまで大きな困難に出会うこともなく、「教会を第一とする」ということ以外は特に厳しいことを言わない両親の元でのびのびと育ってきた私にとって、聖書も教会も牧師も「常にそこにあるもの」でしかありませんでした。しかし、悲しみの底に座り込む中、親が口癖のように言っていた御言葉や、好んで口ずさんでいた讃美歌が自分の内から湧き上がるのを感じました。また、父が召された三日後に講壇で説教をした母の姿も、牧師として生かされている者の強さを知る時となりました。生前父の口癖だった「牧師は最高の仕事だ」という言葉も、耳から離れませんでした。
そこですぐに献身したかというと、残念ながらまだ自分の欲を捨てきれなかった私は、決心しかねていました。とりあえず就職をした塾は思いのほか楽しく、やりがいのある仕事もさせていただけて、もう少し、もう少しと献身のときを先延ばしにしていました。そんな私が決心したきっかけは、東日本大震災でした。自分より若い人々の名前が、新聞の「亡くなられた方々」の欄に並ぶのを見て、「自分もいつ死ぬか分からない」という現実を目の当たりにしました。そして、「死ぬ前にやっておきたいことは何だろう」と考えるようになりました。答えは決まっていました。「東神大に行こう。」
神様は「牧師になりなさい」という直球を常に私に投げておられました。打ち返す時が来たのです。
神学校生活は楽しいです。牧師である先生方、神様を信じる職員の方々、そして、共に学ぶ仲間たちとの交わりは、イエス・キリストによって結ばれているのを感じます。辛いときも、周りの方々が言葉によって、また行いによって神様のところへと引き戻してくれるのを感じます。
私自身が小さくても、神様に繋がっていればいくらでも「でっかい人」にしていただけます。人生は一度きりです。ここでの学びを通して、神様に用いられる器として作り変えられていきたいと思います。