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卒業生・在学生の声(献身の勧め)2011(肩書き等はすべて2010年当時のものです)
 
神が求めておられる
日本基督教団教務教師 
東京女子大学 准教授 
            小室 尚子 

 僭越ですが、現場からの声を聞いてください。
 私は、教会の牧師という立場からキリスト教(主義)学校の教員という立場になって六年目となる者です。
 教会は、キリストによる救いを求めて自ら足を運んで来た人々の集まりで、そこには神に向き合う真剣さと緊張感があります。牧師自身、聖書の御言との格闘によって日々自分の信仰が問われます。そして牧師の務めには、神の教会を牧することを託されているのですから、それなりの責任が伴うことは言うまでもありません。 
 学校は、そこに多くの学生、職員、つまり神に命を与えられて生きる人々が居るにも関わらず、ほとんどの人々が、神に向き合うことに関心を持ち取り組む姿勢ではありません。何をどう教え、伝えるのか、戸惑いと模索の日々が続きます。焦燥感と空虚感は募るばかりですし、また現代の若者達の内面の空洞化、キリスト教学校の抱える問題の深さを前に、立ちすくむ毎日です。
 このようなことを言いますと「献身のすすめ」どころか、献身を止めるすすめのように聞こえてしまうでしょうか。しかし、決して誤解しないでください。このようであるからこそ「献身のすすめ」を述べさせていただきたいのです。
 キリストの救いに与った全ての者に、まず求められていることは、主の福音を世界に伝えることです。私達は、この土の器を用いて神が福音の光を輝かせてくださることを信じる者であります。もちろんそれは私達の生活の全ての場において実践されることですから、誰もが牧師になることが求められているわけではありません。が、悲惨な罪に覆われたこの世界にあって、主の教会は、福音を伝えることを急務としていることも事実です。そのために献身する人を神は求めておられるのです。
 「献身」は決断も歩みも容易な事ではありません。しかしどの現場であっても、その中心におられるのはキリストをとおして働かれる神です。神が働き、神が求めておられるのです。神が求められるならば、献身し、仕える者に、神が力を与え、支えられないはずはありません。たとえ力弱く、不可能と思えることであっても、私達を生かすのは、キリストの十字架と復活によって、あらゆる不可能を可能にしてくださる神なのです。
 私達の拙い信仰をも信じてくださり、福音の宣教を託そうと、神が求めておられるのです。その声に応える人を待っておられるのです。

献身の勧め
東京神学大学 大学院生
藤川義人
「人の子よ、自分の足で立て。わたしはあなたに命じる」(エゼキエル書2:11)
 神様の呼びかけは、突然にやってきます。この呼びかけによって、私は高校一年のクリスマスに信仰告白へと導かれました。クリスチャンホームに生まれ、幼児洗礼を授けられ両親に連れられて教会へ通ってきた私にとって、信仰告白をすることは、神様から与えられた最初の大きなチャレンジでした。この時初めて、神様の前に一人の人間として、自分の足で立つことが求められたのでした。しかし、私はその呼びかけに素直に応えることができませんでした。このまま、親に連れて来られるままでいたい。自分では決断をしたくない。何よりも自分の足で立つということが怖かったのです。
 神様は、私たちに向けて繰り返し呼びかけられます。一方、私たちはその呼びかけに対してなかなか素直に応えることができません。なぜなら、怖いからです。自分の力では、到底どうすることも出来ないというところで、私たちは畏れを覚えるのです。出来るなら、無謀なことはせずに、自分の安全を守りたいと、考えているのです。しかし、まさに、このような私たち向けて、神様は語られます。「人の子よ、自分の足で立て。」
 今思い返すと、かつて信仰告白を迫られて抱いたあの畏れは、神様の御前に一人の人間として立たされることの畏れであったことを思わされます。私は思い違いをしていました。ずっと、どこかで私は、自分の力で立つことを思っていたのです。私たちは自分の力で立つことが求められているのではありません。神様の呼びかけとその御力によって、私たちは立ち上がらせて頂くのです。そして、その様にして私たちは、神様の御前に、礼拝の場へと招かれていたのです。そのことを示された時、私の口に、信仰告白の言葉が与えられました。
 神様は、御言葉によって、繰り返し私たちに語りかけておられます。ただ、私たちクリスチャンに求められていることは、その神様の呼びかけに対して、素直にお応えすることです。これこそが、本当の信仰ではないでしょうか。祝福の約束と希望に支えられながら、私たちもまた歩ませて頂くことができるのです。たとえその道が、いかに険しいものであっても、神様が私たちに備えて下さっている道を歩むことができるのなら、なんと心強く幸いなことでしょうか。「アブラムは、主の言葉に従って旅立った。」(創世記12:4)
   
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